越中.富山城

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富山城は天文元年に水越勝重によって築かれ、後に勝重は神保長職
と名を改めた、その後神保氏が3代に渡って居城したと言われて来た。
中世の富山城つまり神保長職が築いた富山城は現在の城址公園の南、星井町辺りにあったと推定されております。もちろん現在、遺構は表面上何も確認できません。佐々成政が豊臣秀吉に戦わずに降伏した際に秀吉は前田利家に命じて城を破却させました。後に前田家が富山城に拠る際に縄張りし直して現在の場所に築城したのではと言う。


寛永16年、3代前田利常は、次男利次に10万石を与えて分家させた。 利次は、廃城と化していた富山城を修復、寛文元年に入城して富山藩が成立した、以後富山前田氏13代の居城として明治に至った。